MISOPPA日記

2001年1月20日

  昨日の夜、 すき焼き屋さんに行った。牛肉がすこぶるおいしく、犬みたいに「クウーン」と鳴いて喜んだ。目新しかったのは、生卵のあしらい。白身だけをお箸でメレンゲぽくふわふわに泡立て、焼いた肉や野菜をそれにつけて(いや、浮かべてといったほうがいいかな)食べた。これがおいしいのなんのって。みなさんもおためしあれ。 
  今日になって、つもりはじめた雪を見てたら、昨日の白身を思い出しぺこちゃんの顔になってしまった。

 

2001年1月19日

コンビニに行った帰り。 白いなにかが木になっているのが見えた。
 「みかん? うそ」
「かりん? 違うよ」
「もしかして鏡餅?」 
 そばで見たら、電信柱から出てるケーブルの途中についている陶製のなんとかいうやつだった。(ガイシ?)白玉粉をこねたときの白。

 

 

 2001年1月18日

   無印良品にて。店のお姉さんに、五十歳前後のステッキを手にした紳士ふうの人が質問した。 「さらさらシャンプーというのは、さらさらじゃない人の髪をさらさらにするシャンプーなんでしょうか。それとも、もともとさらさら髪の人用のシャンプーなんでしょうか」 「それは……」 「知りたいんです」 「えっと、どちらのタイプの方にも使ってあげてください」  すると男性は「うーん、納得いかない」と小さく言って去って行った。
  前から気に入ってたバガルディの三村君、さらに赤丸急上昇中。

曙橋駅前の道路拡大用空き地の一部が掘り返されて、土になっている。木を植えてミニ公園にでもするのかな。掘り返される前のアスファルトには、鳩のために誰かが、パン屑やごはんつぶを撒いていた。土になってからは一切撒かれていない。それなのに鳩はやってきて、餌のない土を、熱心にくちばしでつついている。掘り返されて一週間はたっているのに、今日もきてた。三村君なら、鳩になんて突っ込むかな。

 

2001年1月15日月曜日

 もうずいぶん前になるけど、成人式に出たあと、祖母に振袖姿を見せに行ったっけ。祖母は「都はるみみたいだ」と目を細めて誉めてくれたけど、そのころの私は若すぎて都はるみの味がまだわからなかったから、素直に喜ぶことができなかった。なつかしい。

  数日前、事務所のエアコンがぱたりと止まったきり、まったく動かなくなってしまった。何年も働いてくれたこのエアコンは明日処分され、新しいのが設置される。ご苦労さまの気持ちをこめて、エアコンに向かって手を合わせたら、なぜか町から消えた電話ボックスらのことが頭に浮かんだ。

 まだちらほらは残ってるけど、撤去された大量の彼らはどこに行ったんだろう。水槽とかショーケースとかに二次利用されているのだろうか。まさか。私がいちばん真夏っぽさを感じるのは、電話ボックスの中のうだるような暑さだった。助けてー、と叫びたくなるようなむっとする暑さ。そういえば電話ボックスが消えてからこっち、「うわー、真夏だっ」と思った覚えがない。

  うわー、寒い! そうか、思わぬ連想をしたのは、いまが寒くてしょうがないからかも。 

 


口開いたまま死んじゃった生き物みたいにも見えてくる


こないだのポピー、こんだけ咲いてます。風もないのに、ときどき揺れてる。

 

 

2001年1月12日金曜日
 カレーの日はついつい食べすぎる。まず夕飯時に普通に一皿。お腹いっぱい、もう食べられない、と本気で思う。でも、一時間くらい経つと、もうちょっと食べようかな、となり、カレー鍋の蓋を開ける。皿ではなくご飯茶碗にぽそっとご飯をよそり、冷めてぬるくなったカレーはあえて温め直さず、おたまで二回ほどかけて、好きなところに気軽に座り(正規の食事ではない気分のあらわれ)、ぺろぺろっとあっという間にたいらげる。おいしい。しあわせ。よーし、これでカレーを満喫しきったぞ、もう食べられない、と思う。これも本気。しかし、一時間くらい経つとまた…。にわかにカレー依存症を発症した私は、カレーが切れては鍋の蓋を開け、を夜更けまで繰り返す。翌日、重い胃をつらく思いながら「あのいやしさはどこから来るの」とため息まじりにつぶやくことになる。 今日はカレーだった。一皿食べてから小一時間経ち、例によっていそいそと蓋を開けると、鍋はからっぽだった。そうだ。食べ過ぎないように、一皿食べたあと、断腸の思いで残りのカレーを、ビニール袋に小分けして冷凍にしてしまったのだった。解凍が面倒だからではない。からの鍋を見て、食べる気はなくなった。なぜかな。

 

 

2001年1月11日
今日、新宿の花園神社にふらっと寄った。そこで「おかめ土鈴」を買った。気がついたら買ってた。タテ寸が9センチほどあり、結構おおぶり。どっしりと重いから気軽には吊るせそうにないし、丸いから立てて置くこともできない。鈴の音はとても鈍く、呼び鈴として使えそうにもない。まっ、いまの生活で呼び鈴を使う場面なんてないけど。 いったい私はどういうつもりでこれを買ったんだろう。 最終的に、この「おかめ」はどこにどんなふうに落ち着くことになるのか。「おかめ土鈴、おかめ土鈴…」となんとなく声にしたら、「なに、オカメドレイって。呪文?」と夫。 もてあましたらバチが当たるかも、と思えてきて、とりあえずいろんな角度からながめてみたら、次第に愛着が湧いてきた。うん、とてもいい顔、ご利益ありそう。そう思えてきた。ほんとにほんとです。

 


2001年1月8日

角の花屋でポピーを買ってきた。毎年、一月から三月ごろまで、私はポピーをよく買う。 これは、昨年の春に書いた歌。

 ひらいてもなおはにかんで揺れる花ポピーポピーとかまいたくなる

 そっぽ向くさまが身につき花ポピー「やだわ私ったら」の毎日

 

2001年1月5日
  昨年の12月、鬼怒川温泉に行った帰り道、東武ワールドスクェアというテーマランドに寄った。駅員さんは「ガリバーになれっからな」「ガリバーだから」としきりに言ってた。
  ところがこれが本当におもしろかった。建物ではなく、ミニチュアとなった大勢の人が「東京駅ホーム」で乗り待ちしていたり、「スフィンクス」の修復工事をしていたり、「グエルパーク」で輪になって踊っていたりするのが面白いのだ。私は、ガリバー、というよりもゴジラになった気分で、口から気持ちよく火を噴きたくなった。
 ミニチュア宮殿の立派な噴水を見ていたら、となりで見てた一人の若者が誰にともなく、つぶやいた。 「すげぇ、これ、そのまま部屋に置きたいなあ」    「そうだよね」と私は答えそうになった。
  出口に向かう見物客たちはみな、少しさびしげで、猫背になっていた。そういえばガリバーは島を出るとき、本当に島を出たいと思ったのだろうか。

 

 2001年1月4日

  正月三が日に実家に帰ったら、母が布団にゆたんぽを入れてくれた。
 私は病気のために足の感覚がない、と仮定してみた。私の病状を知らない親切な誰かが、私の足を温めようと、熱い熱いゆたんぽを入れてくれて、その結果、重傷の低温火傷になってしまったとしたら……私はその親切なお人になんて言うんだろうか。そんなことを考えつつゆたんぽのうねうねのところを足の指でなぞってたら、足の親指がつってしまった。


カバーをつけた実家のゆたんぽ
ゆたんぽって四角くないところがいい      生き物みたい

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