つくばで日記  
東京都新宿区から茨城県つくば市に引っ越してふた月になります。今日からときどき、日々の雑感などを綴って行きたいと思います。よろしくお願いします。   2008年4月14日 小林光恵


2008年12月26日

  メリーゴーランドは夜になると、ものすごくライトを強くするけれど、それが以前から不思議だった。木馬に乗る子供だって、そんなに照らされたら恥ずかしかろうにと思っていた。
  今日の夕方、つくば駅近くの広場でメリーゴーランドを見た(写真)。ぴかぴかに照らされたメリーゴーランドは、暗闇の中に巨大な走馬灯が浮かんでいるみたいで、きれいだった。木馬上の子供たちは、冷たい風が顔や耳に当たってものすごく寒いだろうに、遠い目をしてニコニコしていた。最も楽しげな顔をしていたのは、木馬上の子供の写真を撮ったりして見物している家族らしき人たち。メリーゴーランドをものすごく照らすのは、見物人たちのためだったのだ。

 

2008年12月10日

  6日は山形に出張だった。帰りの夕方、駅のホームで新幹線を待っていると、急にたくさんの雪が降り出し、その雪は風でホームにも舞ってきた。夕闇の中、次々と落ちてくる白い雪がきれいで、そして気持ちよく冷たくて、思わず両手を広げて、手のひらで雪を受けるようにし「うわー」と小さく言いながら天を仰いだ。テレビCMなんかでやりそうな、いかにも仕草になってしまった。
  広げた手を元に戻し、なんとなく気配を感じ振り向くと、年配の (80代くらいかな)男性が、私と同じように両手を広げ天を仰ぎ「わあー」とやり、手を戻すと、下を向きニヤリとした。私のマネをしたのか、偶然同じことをやったのか。ニヤリだもの、私のマネをして笑ったのだ、きっと。私も下を向き、小さくニヤリとした。

 

2008年12月3日

  耳から大きくぶら下がるタイプのピアスの金属が、顔を動かしたときに肌に触れて「冷たい」と感じると「冬がきたな」と思う。私の中の冬到来の風物詩だ。今年は3日ほど前にそれがあった。
  写真は、我が家の生垣の紅葉したドウダンツツジ。暖色といわれるとおり、紅葉の赤は眼に暖かい。陽のあたり方によっては、焚き火の火のようにも見える。真夏だったら、暑苦しく感じるんだろうけど。

 

2008年11月24日
 いい遊び場を見つけた。サイエンス・スクエアや地質標本館を有する産業技術総合研究所(略して産総研)。公園のような敷地内で散歩したりお茶を飲んだり。なかでも気に入っているのは、地質標本館内の鉱物や岩石の展示コーナーの見物。遠い過去に思いをはせるわけでも構成成分に注目するわけでもなく、ぼんやり眺める。石英片岩だの水晶だの瑪瑙だのを。
 写真は、産総研内の銀杏並木そばで撮ったマイ自転車の影。冬の影は、パンチのないところがいい。

産総研 http://www.aist.go.jp/index_ja.html

 

2008年11月17日
 ガーゼマスクが大好き。何年か前から、鼻の粘膜が乾きやすくなり、乾くと眠れないほど辛くなるので、その対策として睡眠時を中心に愛用するようになった。また、出張時の電車や飛行機の中も乾燥しているので、その際にも使うようになった(但し、顔にマスクのゴムの跡がついてしまうので行きには使用しない)。バッグにはいつも新品のと洗ったガーゼマスクとを入れている。
 つくばに越してからは、どこかに歩いてゆくときにも重宝している。新宿区にいたときよりも、草や花や土など自然の匂いを感じることが多くなり嬉しいのだけど、雨の日に地面から立ち上がる独特の匂いなどは苦手で、そんなときはガーゼマスクを使用すればリラックスして歩くことができる。なので、つくばにきてからはガーゼマスク使用頻度が俄然アップ。口や鼻がガーゼマスクに覆われていると、なんともいえない安心感がある。心理学の分析ネタになりそうだ。
 写真は、先日開催された筑波技術大学の文化祭のときに展示されていたオオカマキリの模型。原寸の15倍(たぶん)の大きさ。まさにオオカマキリ。もう少し大きくされていれば、その顔にガーゼマスクをかけてみたかった。

 

 

2008年11月5日
 先日、結婚式とその披露宴に出席した。花嫁のブーケを、投げるのではなく、くじ引きでプレゼントする形式を披露宴ではじめてみた。たしかに、投げるよりはブーケも傷まないし、みんなが集まってくじを引くときが盛り上がるのでいいやり方かも。子供のとき駄菓子屋で、長いタコ糸の先についた飴玉をよく買ったのを思い出した。その飴は、イチゴのような形をしていて、大きさがまちまち。いちばん大きいのを引きたくて、束ねられたタコ糸を真剣に見つめたものだった。ある女子は、いちばん大きい飴を引いて大喜びだったが、大きすぎて結局は口に入らず、泣きながらそれを齧っていた。写真は、披露宴の帰りにいただいたフラワーアレンジメント。

 

 

2008年10月24日
 
何年ぶりだろう。昨日、弁当を作った。おにぎりや玉子焼きやシャケ。どうというものでなくても、弁当にするとおいしい。また作ろう。作ったらここに報告します。何年後だろう。
 写真は弁当を食べた場所で、茨城県小美玉市の希望が丘公園のコスモス畑。500万本のコスモスが植えてあり、観光バスに乗って大勢で見にきたりもするらしい。今日の雨で、多くのコスモスが倒れてしまったかも。
 コスモスといえば、20代の前半のある時期に、コスモスの写真撮影に凝っていた時期があって、気にいったのを引き伸ばしては額に入れ、無理やり友達にプレゼントしたりした。ああいうのをもらった友達は、その後処分に困っただろうなと、いまにして思う。

 

2008年10月15日
 
 このところ出張が多い。訪れたあちこちの何かをカメラに収めてこようといつも思っているのだけれど、いつも忘れて帰ってきてしまう。「あっ、写真撮らないでしまった」と、帰りの新幹線や飛行機が出発する寸前に毎回思う。
 写真は、最近で唯一忘れずに撮ることができた山梨のぶどう園の様子。整然と鳴ったぶどうには、ひとつひとつ白い袋がかぶせてある。白い辛夷の花を、白いハンカチに見立てた谷内六郎さんだったら、この様子を何に見立てて描くのだろう。姉さんかぶり、あるいはお嫁さんの角隠し、とか。だとすると、顔がずらりとぶらさがっているふうになって、ちよっとコワイかな。

 

2008年10月3日
 自宅周辺には蜘蛛が多く、張られたばかりの埃をかぶっていない蜘蛛の巣をよく見る。きらきらときれいで見とれてしまう。「よくこういうのを短時間に作れるなあ」と感心もする。ほんとうに、一時間前にはなかったのに、そこにすっかり出来上がっていたりするから驚く。オリンピックでも目指しているのか、って言いたくなるくらいの速さ。
 「私の実家のほうでは、新鮮な埃かぶってない蜘蛛の巣を髪のネットがわりにするんだよ」と、学生時代、友達に嘘をついた。なんでそんな嘘をついたのかよくわからないけど、最近、きれいな蜘蛛の巣を見てると、ほんとうに髪のネットかわりにできそうに思えてくる。
 写真は、10月1日に行った茨城県庁の展望ロビーの一角にある椅子の装飾(オブジェ?)。私、こういう顔して蜘蛛の巣に見とれてる気がする。 
 
 

 

2008年9月28日
  タテ80ミリ、ヨコ62ミリの小さな写真立てをいただいた。ミキモトのやつ。写真が見える窓の部分はタテ54ミリ、ヨコ35ミリ。この、名刺の半分ほどの小ささが、なにを入れようかと、考えるのを楽しくしてくれる。
  昨日、長野駅を出たときに、ススキのふわふわの部分が風に吹かれて飛んできて、私の額に当たった。そうだ、これを小さく切って写真立てに押し花ふうに入れよう、と思いポケットに入れたのだが、帰宅してそれを思い出したときには、ポケットからなくなっていた。
  何を入れようかな。昔、少しのあいだよく遊んだ友達Aさんは、写真立て(ハガキサイズくらいの)に鏡を入れて使っていた。そういう使い方はもったいないような、いや、とても有効利用しているような、複雑な気分になったのを覚えている。Aさんだったら、この小さい写真立てに何を入れるんだろう。
 
 

 

2008年9月13日
  今日の昼間に、腰が抜けるほど恐怖の出来事が起こった。ほかの人にすればたいしたことじゃないのだけれど、私にとってそれはとてもたいしたことで…。足も歯もがくがくし、全身に鳥肌が立って急に寒く感じられた。
   夜になった今もまだ動揺がつづいており、なんとかリラックスするために、中国茶(写真。無印良品の花入り茉莉仙桃というお茶)を飲んでいる。3杯目。あっという間に月日がたってしまうのは嬉しくないけど、こと、今日のこの動揺については、月日がたつことがなによりの薬。そういう意味では、明日の朝、一気に冬になっててほしいくらい。

 

2008年9月5日
 あれはなんだったんだろう。数日前の涼しかった日は。秋到来だと思い、薄いかけ布団を出し、それをきちんと掛けて寝たあの日は。
 風邪をぶりかえしたみたいに、夏がふりがえし、昨日も今日も、なんだか、じとっと暑い。
 愛用の万年筆が行方をくらました。数年に一度そうなる。高校入学のときに叔母からもらって、ずっと使っている万年筆。飛行機に持ち込んだり、ちょっとしたことで、ペン先からインクをもらしてしまう。今日ももしかして、この陽気が関係してインクをもらしているかも。でも、見つからなくて、それも確認できない。はがきが書けない。本に載せる四コママンガもかけない。
 こんなときは、必死になって探してもだめ。しばし万年筆のことは忘れて別のことをしていると、どこにありそうかピンとくるんだ。

 

2008年8月29日
 今日の明け方の雷はすごかった。「いままでで一番、身近に落ちたかも」と思えるような迫力だった。
 その雷は、一回だけ落ちてよそに行ってはくれなかった。巨大な(東京ドーム一個分くらいの)雷神(尾形光琳が描いたあの雷神)が我が家の上空にとどまり、雷を落としているイメージが浮かんだ。
 昔は、金属製品を身に着けていると雷が落ちるから、金歯や銀歯の人は、雷が落ちそうなときに外で口を開けて笑ったりしたら落ちるんだ、と大人から聞かされたものだった。その後、金属製品を身に着けていても関係ないばかりか、逆に金属が雷の通り道になり助かる場合があることが明らかになったらしい。金歯、銀歯のみなさんはひと安心だと思う。
 ところで、尾形光琳作の雷神には、金歯が似合う気がする。それも何本か、つながったような金歯が。

 

2008年8月22日
  数日前、小田急線登戸駅のホームで、知人にばったり会った。会いそうにない場所で会ったため、お互いすごく驚き、「今日のばったりは、宝くじ当たるくらい確率低いことのはずだよね。そんな場所で会えるなんて私たちは運がいいね」と言い合った。
  その夜私は、買ってあったサマージャンボ宝くじ(バラ、10枚)の当たり確認をした。知人とのばったりは、「宝くじ当たってるよ〜」という観音様かなにかからのお知らせかもしれない、と思ったのだ。期待が大きく膨らんだ。
  はたして、当たりは一枚もなかった。300円の当たりさえなかった。知人とばったり会う確率に比べ、宝くじが当たる確率は桁違いに低いであろうことは最初からわかっていたが、かなり期待してしまった。
  宝くじのいいところは、大きな期待を持っていて外れてもそんなにがっかりしないことだ。この日も軽くがっかりしてから寝た。

 

2008年8月14日
 家の周囲に樹が多いせいか、蝉の大合唱が聞こえてくる。蝉時雨とは、よく言ったもんで、一斉に雨が降るように鳴く。不思議とうるさくはなく、鳴いていないときよりも静寂を感じる。
 今朝、玄関を出ると、蝉の脱け殻が落ちていた。そのすぐそばには蝉の亡き骸があった。脱皮してすぐ死んでしまったのだろうか。とすると、実に短い一生だったことになる。鳴くひまはあったんだろうか。
 去年の夏、うだる新宿の家の網戸にとまった蝉を、家の中、つまり蝉の腹側から見る機会があった。網戸の網につかまっている手(足?)がよく見えて、「必死」という言葉を思い出した。「ジ」と鳴くと、落ちるように網戸から離れて見えなくなった。

 

2008年8月1日
 今日から八月。
 真夏。いろんな行事、それと記念日。八月は、開放的になる面としんみりする部分が濃厚に混じった月。
 だからだと思うのだけれど、言葉の前後に八月がつくだけで、小説や映画のタイトルになってもおかしくないような雰囲気になる。昔、石川セリさんが歌った「八月の濡れた砂」なんて、このタイトルだけで詩になっていると思う。たとえば、このタイトルの「砂」を「洗濯物」に変えてみると、まあ、詩的ではないにしても、それなりにサマになると思うのですが、いかがでしょう。八月の濡れた洗濯物。

 

2008年7月までの日記へ