つくばで日記  
東京都新宿区から茨城県つくば市に 引っ越してふた月になります。今日からときどき、日々の雑感などを綴って行きたいと思います。よろしくお願いします。   2008年4月14日 小林光恵


 

2010年12月31日

  今日、細い歩道で、家族連れとすれ違った。母親らしい女性と、その息子と思われる中一くらいの男子とその妹らしい小五くらいの女の子の三人。帰省の途なのか、お母さんは大きなボストンバックを両肩から提げていた。
 私とすれ違う10メートルほど手前で、その家族の男子が、お母さんと並んで歩いている妹のほうを向き、私に背を向ける形で歩きだした。このままだと、男子は私の進路妨害になる。そう思ったらしいお母さんは、小さくない声で男子に「前を向いて歩きなさい」と繰り返した。しかし、男子は余程おもしろいことでも思いついてしまい妹にそれを伝えたかったのか、妹をからかいたい衝動にでもかられたのか、お母さんの言葉を無視して、後ろ向きに歩いてくる。
 すれ違う直前、私がその男子をよけようとすると、お母さんが「ほら、邪魔になるでしょ!」と怒鳴り、私の存在をはじめて男子に伝えた。すると男子はあわてて前を向き、私を大きくよけたのだった。
 彼は、前方から誰も歩いて来ないのに、母親がただ、前を向いて歩けとくり返していると思っていたのか、あるいは母親が言っていることなど聞こえないほど別のことで頭いっぱいだったのか…、どうなんだろう。
 振り向くと、その男子はさっきまでお母さんが肩からかけていたバッグ二つを肩からかけて、とぼとぼ歩いていた。
 写真は、机上に置いた来年のカレンダー。カード式になっていて、毎月違う表情のストレッチ猫をたのしめるようになっている。これで、来年は一年間、のびをしている猫を見続けることになった。 

 

 

2010年11月22日

  あたりでは、色づいた葉が枝から落ち始めた。
 落ち葉は、地面に着地して完全な落ち葉になる。枝から離れた葉は、ひらりひらり、あるいは紙ヒコーキのようにすーっと斜めに、または直線にすとんと落ちる。さっきまでつながっていた枝には未練のかけらもないといったふうに、風に身を任せて地面に向かう。完全な落ち葉になる直前のときを愉しんでいるようにも見えるそれらの葉は、なんだかちょっと官能的な印象。つい、見とれてしまう。
 枝から離れて地面に着く前の葉を集めたいと思ったことがある。虫採り用の網で枝から離れた葉をうまく受けよう、とか、その葉を「未着落ち葉」と名づける、とか、採取した場所をきちんと記録しようとかあれこれ考えたが、実行はしなかった。どうして、そんなに集めたかったんだろう。写真は、近所の完全な落ち葉になった葉。

 

 

2010年10月28日

  6月のはじめにNHK「あさイチ」でごまパワー特集のときに紹介していた「トースト+白ごまペースト+ハチミツ」がおいしくて、毎朝食べている。もう5か月近く食べているのにまったく飽きない。朝起きてコーヒーを入れるとき「ああ、今日もあれを食べられるなあ」と思うと、自然に笑顔になってくる。
この朝食がたのしいのは、ハチミツの入れ物のことも関係している。ずっと、一回使い切りの小分けしてあるハチミツを使っていたのだけれど、ひと月前、たまたまそれを買いに行けず、やむなく近くの八百屋さんで小ぶりのボトル入りのを購入した。それを食べはじめてみると、はちみつの一日一日の減り具合を見るのがなんともたのしいのだ。毎朝、大さじ一杯程度食べる。ボトルの数ミリ分が着々と順調に減っていくのが気持ちいい。リズムの整った心音を聞いているような落ち着いた気分にもなる。それと、数日かけてボトル一本分食べ切る達成感もいい。だからこれからもボトル入りハチミツで食べつづけると思う。いまは、いただいた瓶入りハチミツをボトルにうつして食べている(写真)。
ミツバチの激減のニュースが気になりだした今日このごろです。

 

 

2010年9月16日

   私が使っている冷蔵庫は、冷凍室が自分の目線より少し高い位置についているやつ。昔からずっとそのタイプを使用。
 その冷蔵庫に、夏、さいの目の仕切りがついている製氷皿に水を入れて冷凍室に入れるとき、片手でぞんざいに持つため、製氷皿が傾いて水をたらっとこぼしてしまうことがよくある。これは子供のころから繰り返してきたこと。こぼしたときには「しまった、次回は注意しなきゃ」と思うものの、本気で反省していないため、すぐに注意するのを忘れてまたこぼす。夏はかならず数回こぼすのだから、極私的夏の風物詩と言ってもいいだろう。私は夏以外には氷は作らないから。
 今日もこぼした。じきに涼しくなり夏が終わるみたいだから、今日がこぼしおさめだと思われる。
 写真は、先月青森に出張したときに撮ったもの。青森駅前通りに、子供たちの版画作品がいくつも飾られていて、そのうちの気に入ったやつ。

 

 

2010年8月16日

   なにかを見てちょっとした発見があったり感動を覚えたりしたとき、写メで撮ると一気に気が済んでしまう。データが携帯に残っているという安心から「忘れていい」という意識が働くのか、写メを撮り終わった瞬間から何事もなかったかのようになる。ちょっと感動したってことを、人に話したりもしなくなる。だから最近は、写メでやたら撮らないようにしている。気が済まない、が続くのも悪くないなと思うから。
 8月8日の夕方、岡山空港の搭乗口に座っていたら、虹が見えた。写メで撮ったら気が済んでしまい、見たことさえ忘れてしまいそうだから撮らないで見ていようと思ったけれど、虹が少し消えかけてきたとき咄嗟に撮ってしまった(写真はそのときの)。そして案の定、携帯の写真データを整理した今日まで岡山の虹のことはすっかり忘れていたのだった。

岡山空港の虹

 

 

2010年7月19日

  「いきものがかり」のボーカルの女性のブレスは印象的だ。とくに歌い始める直前の吸気のさまは、堂々として真剣で、発声のためには息をめ いっぱい吸い込まなければならないことを改めておしえてくれる。歌に生き物を感じる。いまの朝ドラの主題歌は「いきものがかり」の歌で、出だしのワンシー ンが終わると必ず彼女の歌が流れるのだけど、歌いだし直前の吸気のところで私も一緒に息を吸い込んだりしている。
 写真は新大阪駅前(今年の6月初旬のある日の夕方)。むし暑い大阪を写真にとどめよう、と思って撮ったのだった。しかし、今日の暑さと比べるとあの日の暑さは序の口といえるものだった。 

 

 

2010年6月15日 
   買わなくても十分暮らして行けるモノなのだけれど、それをとても買いたくなってしまう。と、買ってある宝くじのことがぽんと頭に浮かぶ。
<当たる確率はとても低いけれど、可能性がゼロというわけではない。つまりそれは「可能性ゼロ」VS「可能性ゼロではない」ということになる>
こんなふうに考えると、まるで宝くじに当たる確率がすごく高くなったみたいな気分になってきて、気が大きくなり、買いたいそれを買ってしまう。
 その帰り、車の運転席に着くと、さっきまで胸いっぱいに広がっていた買い物の幸せ感が急にしぼみ、不安感や恐怖心が膨らんでくる。自動車事故にあうこと について、さきほどの「可能性がゼロというわけではない」という考えが適用され、事故にあう確率がすごく高いような気になってきて、こわくなる。実際、宝 くじに当たるより事故にあう確率のほうがだんぜん高いのだということも思い出し、さらにこわくなり、びくびくしながら異様に慎重に運転して帰宅することに なる。ごくたまに、そんな日があります。
 写真は、うちのお風呂の窓ガラスごしに見えるお隣のバラの花。あちこちでバラの花が見事だけれど、ガラスごしに見えるこのバラが目下いちばんのお気に入り。毎日、「おはよう」「おやすみ」とガラスごしに挨拶している。

 

 

2010年5月13日

  藤の花VS菜の花。どっちが、より大人な香りか。ずっと考えているのだけれど、なかなか勝負がつかない。どちらも好きな香り。質は似ているけれど、違う香り。
藤の花の香りは、色っぽい。藤の花のアーチをくぐるときなんか、うっとりして全身の力が抜けそうになってしてしまう。香りに捕らえられた感覚になる。なん という名か、プラモみたいに頑丈そうなハチが藤の花のもとで捕虜のようにぶんぶん働いていた。局地的な香り。なんとなく秘密にしたい香り。一方、菜の花の 香りは、おおらかな雰囲気。風に任せてゆったりとたゆたう。開放的で、みんなに言いたくなる香り。安心する香り。さて、どっちが大人な香りだろう。どうで もいい勝負ではあるのだけれど。
写真は、愛用しているフレグランスのパッケージ。これを買うとき、店員さんに「これは花嫁になる方などが、ドレスを着るときに使ったり…」と、暗に私の年代には合わないようなことを言われるのだけど、無視して使用している。

 

 

2010年4月4日

  春風に誘われて、今日の午後、近くを自転車で走った。研究所の周囲、小学校の周囲、などなどいたるところに桜花。だいたい八部咲き。一時間 ほど走ったのでかなりの距離自転車を漕いだと思う。歩数計みたいに漕ぎ数計があったなら、プラスアルファの満足が得られるのだけどな。おお、今日は五千漕 ぎを超えたよ、て。
 桜花も素晴らしいが、雪柳もいい。白い花をつけた伸び放題の雪柳が風に揺れるさまは、猫が適当に尻尾を振っているみたいに見えたり、地上のテングサにように見えたりして、楽しい。写真は宇宙センター沿いの雪柳。    

 

 

2010年3月4日

   私には帯広基準というものがある。晩秋に帯広に行ったときに感じた寒さが、これまで感じた寒さの中で一番だったので、そのときのものすごい寒さを10として寒さの度合いを決めるようになった。その後どこに行っても5を超えたことはない。
 おととい、筑波大病院に行き、駐車場で車から降りたらすごく寒くて「これは5を超えるかも」と思って歩いてゆくと、玄関前で一時的に5と思われる寒風が吹いた。つくばでは、寒いと思ってもその度合いはいつも2か3程度なのにだ。
 もうひとつ、おとといの筑波大病院ではいつもとは違うことがあった。病院内の忘れ物が、通路の専用ガラスケースに常時陳列されているのだけれど、私はそ れを必ず見に行く。そこに置かれている、栞のはさまった文庫本やカーデンガンや小物入れなどは、いかにも誰かが持っていた雰囲気があってイメージが膨らむ し、忘れられた物には哀愁がある。おととい、いつものように見に行くと、いつもの十倍ほどの忘れ物がガラスケース内に犇いていたのだった。その中には、な んとお守りもあった。
 写真は、久しぶりに使った電気ストーブ。身体のそばに置いて使うからかもしれないが、電気ストーブをつけると、目蓋のあたりからじんわり温かくなっていく。  

 

 

2010年2月15日

  数日前から、ソフトバンクのテレビCMで、金子由香利さんが歌っている『時は過ぎていく』が流れている。♪眠ってる間に 夢見てる間に 時 は流れ 過ぎてゆく♪という出だしのやつ。これは名曲。「時計」という邦画のエンディングに流れていてこの歌を知って以来、ときどき頭の中を流れていた歌 だ。いつかカラオケで歌ってみたいと思うけど、歌うのはむずかしそう。とにかく、時は過ぎていく。
 写真は、1月の終わりに行った新宿京王プラザホテルのロビーの吊るし飾り。 

 

 

2010年1月15日

  アメリカドラマ「スタートレック」のピカード艦長のころのシリーズでは、エンタープライズ号に、両眼を幅広の包帯一本でカバーしたような形 の金属製のメガネ?をかけている乗り組み員の男性がいた。彼が一度だけ、眼の代用をしているそのメガネを外したことがあった。彼の眼球は灰色一色で、その さまにぎょっとすると同時に、金属メガネが必要になった悲しい歴史があるのを私は感じた。それまでは、眼がカバーされているために表情を感じられずとっつ きにくい印象があったが、彼の眼球を見て以来、そのメガネをしていてもなんとなく表情の変化がわかる気になってきて、穏やかで誠実なキャラクターであるこ ともわかってきて親近感を覚えるようになった。スタートレックの登場人物でひいきにしているのは、ミスタースポック、ドクターマッコイ、データ少佐、そし てこの彼だ。ひいきにしているわりに名前を忘れているけど。
 数日前、映画アバターの3D仕様のを観てきた。映像の迫力・臨場感もすごかったけど、客たちが一斉に3D用メガネをかけている様子は、子供のときにイ メージした「未来」な感じがあって印象に残った。スタートレックのあの彼も客の中にいるのでは、と思ってしまった。
 写真は無印良品で買ったテンプレート。見てるだけでたのしいのは、子供のころ遊んだ紙の着せ替え人形を思い出すからかも。

 

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