つくばで日記  
東京都新宿区から茨城県つくば市に 引っ越してふた月になります。今日からときどき、日々の雑感などを綴って行きたいと思います。よろしくお願いします。   2008年4月14日 小林光恵


 

2011年12月29日

   必要があって、数年前の受信メールをチェックしていたら、自分で携帯からパソコンに送った件名ナシの未開封メールが目にとまった。開いてみると「そうだっ種」と書いてあるだけ。私は出先で、思いついたことなどを携帯からパソコンにメールすることがある。あとでそれを開くと、どんな気分でどういうつもりで送ったのか、すぐに思い出すのだが、これについてはまったく思い出せない。俳優さんの名前を度忘れしたときみたいにネット検索などで解決できないから、自分で思い出すほかはない。早く思い出して「そうだ、そうだったね」となりたいのだけれど。
 画像は、来年の年賀状用に描いたイラスト。だるまのつもり。 

 

 

2011年11月22日

   晩秋に、小さな鈴の音のような耳鳴りが起こることが多い。シャンシャンではない。金属に少しガラスが混じったような、シャンとチンのあいだのような、ちょっと侘しい雰囲気の音。この耳鳴りが嫌いじゃない。今日は、右耳の奥から遠い感じで幾度となく聞こえてきた。たぶん、寒くなってきて、ぐっと血の巡りが悪くなることが関係しているのだ。
  秋には、いつもより耳に意識が行く気がする。その要因の一つは、小5のときの秋のある日の記憶だと思う。あの日、放課後に「秋の子」【サトウハチロウ作詞のすすきの中の子 一、二の三人と歌いだす曲】を歌う練習を終えて帰ろうとしていると、知らない上級生に「風に飛ばされたススキが耳に入ったら、耳が聞こえなくなるんだ」と言われ両耳を塞ぎながら小走りで帰ったのだった。その際、背負っていたかばんがあちこちに揺れても、それを手で押さえることはできなかった。
 写真は、11月はじめに訪ねたガラスの森美術館の庭園内のススキのオブジェ。

http://www.ciao3.com/garden/crystal/susuki/index.html  

 

 

2011年10月18日

   電車の端の席に中年女性が座っている。ほとんどの人がうつむいている中、彼女は顔を上げ、中刷り広告に目をやりながらゆっくりと息をはく。そしてしばしぼんやりする。次に彼女は、膝の上でピアノを弾くように指を動かしながら、しばらくつり革を見つめる。そのあと彼女は、うっすらと涙を浮かべ、携帯電話のポスターに目をやる。ここで小さくくしゃみ。そして今度は、後頭部を席の上の部分にあてて顎を突き出し、天井に顔を向け遠い目になる。夢見がち、ならぬ、上見がちな変な女。そういう人を見かけたとしたら、それは私です。最近、ipodで音楽を聴くようになり、電車でそうなっています。
 写真は、茨城県行方市の観光帆引き船。10月9日に随伴船に乗って見物してきました。合成写真じゃありません。 

 

 

2011年9月6日

   今日、秋になった。私の中の気象台がそう判断した。だって、吹いてきた風が、まぎれもなく秋風だったから。
  秋といえばお月見、お月見といえば饅頭で、饅頭食べたいな、と思っていると、大分の竹田市の方から銘菓「荒城の月」が届いた。このお菓子、はじめて食べた。すごくおいしい! 大切に一日二つずつ食べることにした。「○○の月」という名前のお菓子ってどれもみーんなおいしいよね、と言ってはみたが、ほかには「萩の月」しか思い出せなかった。
  写真は、月の満ち欠けが描かれた手拭い。

 

 

2011年7月21日

  「自宅に帰ってきたな」と実感することの一つが、タオルだ。毎日ローテーションして使っている普通サイズのタオルは10枚くらいあって、長く使っているものばかり。ふかふかのやこだわって選んだのより、誰かにいただいた何かのイベントの文字の入ったやつや、どうでもいい幾何学模様柄のとかキャラクターがプリントされているやつが多い。タオルって割りに丈夫だから、5年や10年はあたりまえ、場合によっては20年以上使っているものもある。これらのタオルを、干したり、使うために広げたりしたときに、見慣れた柄や絵が目に入り、「おお、我が家だ」と思う。
  写真は、「ぼのぼの」がプリントされたタオル。21年前にいただいた。マンガ「ぼのぼの」が好きだったからもらったときは喜んだ記憶があるが、その後はさして意識せず使ってきた。いまでは、我が家を濃厚に感じる一枚だ。このタオルを使っているあいだに住所が三回変わった。 

 

 

2011年6月17日

  このところ歯医者通いをしている。診療台に座ったまま待たされるつかのまに、自分の素足の足指を眺める。
  足の指、特に親指と小指以外の足指は、自分の身体の一部でありながらも、どこか他人というか、私からは分離独立したような存在のように思え、久しぶりに彼らを見ると「あっ、どうも」と挨拶したい感覚になる。
  私の足指は、どの指も全国組織の足の指労働組合に入っていて、手の人さし指にあたる足指(右足の)が私の足支部の事務局をしている。足の親指は「忙しくて組合のことまで手がまわらない」と言って好きなイベントのときだけ参加し、小指は「小柄なのに酷使されみんなより疲れているから」と主張して組合の仕事はせず、結局、親指と小指以外の六本の指が地道に組合活動を支えている。
  写真は、足指ごとにわかれているストッキング。足指が見える夏のサンダルを履くときに、いい。

 

 

2011年5月19日

   今日はとてもいい天気で、窓を開けると踊るような軽やかな風が入ってきて、「一時間(いちじかん)」を「いちちかん」、「私(あたし)」を「あちし」、「同じ(おなじ)」を「おなし」、「近似値(きんじち)」を「きんちち」、などと言う人たちを思った。彼らは言葉を、おおらかに、言いやすいように使っているだけで、昨日や今朝の何気ない出来事を、やや早口に話してくれるのだ。
 写真は、昨日の新聞朝刊のお天気欄。朝から夜まで、全国各地すべて晴れマークで「やった!」となったのだが、すぐに一抹の不安みたいのが生じ、ユーミンの「悲しいほどお天気」なども思いだすのであった。

 

 

2011年4月12日

   どちらかというと年配の男性が、足を肩幅に広げて立ち、胴まわりを整えなおしているのを昔はよく見かけたものだった。まず、前を広げたズボンを少し下ろす。ステテコか股引きを定位置までひきあげ、次に上体の下着を皺のないようにステテコの上にのばし、次に上に寄せておいた腹巻をきれいに伸ばし整え、次にYシャツの裾を丁寧に伸ばし、その上にスボンを引き上げて、チャックをしめ、仕上げにベルトをしめる。その一連に動きをしているときの男性は、広い草原の中に立ち、遠くを見ているかのような目なのだ。そして、整える手つきは実に落ち着いており動きには無駄がない。
 最近、その動作をしている男性を見かけた。いまはなかなか目にすることができないからか、ちょっとご利益があるような感覚になった。
 写真は、先日、米子空港を利用した際に見かけたねずみ男。    

 

 

2011年3月2日

    昔、「クリープのないコーヒーなんて」というCMのコピーがあった。クリープとコーヒーの部分に、あれこれ別のものを当てはめてみたりしたものだった。
  いま当てはめるなら、「ケータイ用内ポケットのないバッグなんて」だ。先日、久しぶりに、古いバッグ(といっても私の中では十分現役でプロ野球なら一軍メンバー)を取り出し使おうと思ったら、ケータイを入れるための内ポケットがないことに気づいた。これでは、まったくもって不便。気に入っていたバッグだったが、急に色あせた存在になり、二軍落ちとなった。棚に戻したそのバッグ、むっとして、そっぽを向いてしまった感じだった。
  写真は、このあいだ仙台でお昼に出していただいたお弁当の表紙。地元の方によると、このお弁当、売れているそうです。  

 

 

2011年2月4日

   プールにも荒波の日がある。水中歩行コースを歩いていると、アクアビクスをしている方向からは、大勢でボートを漕いでいるかのような大波がぐいぐいと寄せてくる。また一方では、赤ちゃんを抱えたママたちが先生の掛け声に合わせて「かーに」「かーに」と声を出し蟹歩きを繰り返す。これもやわな波ではない。気を抜くと足元をすくわれる。となりのコースからは、ものすごくしぶきをあげるクロールの人、なかなか進まないバタフライの人が過ぎる波がきて、鮫のような威勢で私を追い抜いてゆく人による渦潮のような波にも襲われる。いやはや、一時たりとも気が抜けない。さまざまなインナーマッスルに効いていると思われる。こんなとき、頭の中で聞こえているのはマーラーの「巨人」。たのしいです、荒波の日が。
 写真は、2月ののび猫カレンダー。猫、目を細めてます。  

 

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