MISOPPA日記  

2001年9月25日
知り合いのIさんが、夏に、ニキ・ド・サンファルの画集を贈ってくださった。6月7日の日記にニキの彫刻が気に入ったと書いたのを覚えていてくれたみたい。Iさんは、毎年、那須にあるニキ美術館を訪れているらしく、そこで買ってきてくれたようだ。
今日は朝からパソコンが何度も固まった。原因はわからない。一旦電源を切って再起動するのに少し時間がかかるから、かたわらのニキ画集を見ながら待つ、を何度もやった。画集のおかげで腹を立てずに落ち着いて待つことができたが、午後になってまた固まってしまったときには、なんだか「もう、いや」という気分になってきて、ニキの彫刻作品の「逆立ちするナナ」(画像参照)みたいに逆立ちしたくなった。
  ニキ美術館  http://www.int-acc.or.jp/niki/

 

2001年9月18日
 近所をぶらぶら散歩中、なにげなく立ち止まっていたところでふと下を向いたら、道にいくつも小さな蓋がされているのでぎょっとした。足元に四つと三十センチ先に三つだから、ぞっくりという表現はおかしいけど、見た感覚は「ぞっくり」だった。マンホールとは違う。注意して見てみたら、道のあちこちに仕切弁と書かれた鉄製のこの蓋がある。いままでは気にとめたことがなかったけど、見た目がなんだか不気味。黒光りしている。
  呑気に仕切弁の写真を撮ってたら、100円ショップから女性が叫びながら(子供の名前を)脱兎のごとく走り出てきたと思うと、向かいのローソンに突入。路地、文房具屋、……と女性は順に突入し子供を捜していた。走る姿もそうだったけど、叫ぶ声が、なりふりかまわない声という感じで、彼女の必死さが伝わってきた。何回目かの突入で女性の声は聞こえなくなったので、子供が見つかったのだろう。

 

2001年9月13日
アメリカのテロ事件の報道で、実際に「半旗を掲げている」ところを私ははじめて見た。

 

2001年9月11日
 雨風のピークの時間帯に出かけた。傘なんてまったく役に立たない。雨合羽に身を固めた人が、胸を張って横切って行った。ビルの中に入り、雨風のすごい様子を写真に収めたつもりだったが、まったく臨場感のない写真となってしまった。ビルの谷間では雨風って写真に写りにくい、というのを再確認。

2001年9月4日
こないだ、東京新聞のテレビ番組ページに異変が起きた。左からチャンネル1、3、4、6、8、10、12だったのに、なにを思ったか1、4、6、8、10、12、3と突如配列を変えたのだ。前の配列に慣れきっていたからすごく見にくい。やっぱり3チャンは「教育テレビだってあるんだぞ」というふうに1チャンの右にあってほしいし、12チャンは「じつにどうも」という感じで右端にあってほしい。「東京新聞に文句言っちゃおうかな」とぶつぶつ言ってたら、それが聞こえたかのように、すみやかに元の配列に戻った。同じように思った人から苦情があったんだ、きっと。

 

2001年9月3日
今日、ある化粧品会社でたまたまファンデーションの製造工程を見学することができた。オートメーションでつぎつぎと商品ができていく。それぞれの箇所に蓋閉じロボットやシール貼りロボットが待ち構えていて、休むことなく(当たり前か)ぴたりぴたりと作業している。ほんとはずーっと飽きるまで見ていたかったが、大人だから「ほほう」とひとしきり関心しておしまいにした。

 

2001年8月30日
私の場合、寝癖でぐしゃぐしゃになった髪は濡らさないと整えようがなくなる。人と会う予定のない日には、わざわざ濡らすのは手間だから、そのぐしゃぐしゃの髪(ドンキングといったかな、髪が逆立っている外人。あの髪型に似た状態)のまま仕事していることが多く、ちょっとコンビニに行くときなんかは帽子をかぶってしまう。いつだったか、宅配便がきたので一度その髪のまま荷物を受け取ったら、配達の人が私の髪にぎょっとした(気がする)ので、次のときには帽子をかぶって出たら、それにも「?」の顔をしていた(気がする)。たしかに、家の中で帽子をかぶっているのはおかしいかも、と思い、ためしにバンダナを給食のあばさんのようにかぶってみたら、これがとても具合がいい。最近気に入ってやっている。今風というのか若者風というのか、バンダナをキャップのようにかぶるやり方はどうもしっくりいかない。やはり昔ながらのかぶり方がフィットする。鉢巻効果があって、気分もきりっとする。その、きりっの感じがいいから、魚屋さんあるいはシェフがやっているような前掛けをして胴体もきりっとさせたくなったが、そこまでやると、宅配のお兄さんにまた「?」の顔をされちゃうかもしれないから、我慢した。ジージー、ミンミンという蝉の声が急に聞こえなくなった。今朝の空気はきりっとしまっていた(気がする)。

 

2001年8月23日
台風は北海道方面へと移動した。雨があがり、子供のころなら、夏休みの絵日記に書けそうな快晴となった。空色に塗って雲をいくつか描けばいい。十年ほど前からのお気に入り、新潮カセットブックの「雨あがる」山本周五郎作を久しぶりに聞いた。俳優の日下武史さんの朗読がいいんです。

 

2001年8月21日
雨が降り始めると同時に、子供のかたつむりが事務所の窓を這い出した。ゆっくり窓枠まで這うと、ゆっくりと方向転換してふたたび這いはじめる。何分もそれに見とれてしまった。ふと我に返り、「だめだ、私までゆっくりになってしまう」と思い、テンポよく仕事をするべく、シェリー(ご記憶の方いるだろうか。70年代の一時期に流行った歌手。きっとハーフ)の『恋のハッスル・ジェット』(「筒見京平ウルトラ・ベスト・トラックス」ってCDに入ってる)を大きめの音でかけて景気付けをした。ハッスルだし、ジェットだし。それを聞きながらかたつむりを見たら、全速力で窓を這っているように思えてきた。

 

2001年8月17日
こないだ仕事用の棚の整理をしていたら、6年ほど前にやった原稿の束が出てきた。そのころはワープロを使用しており、熱で印字される専用紙を使っていたのだが、年月が経ち、それらの印字のすべてがきれいさっぱり見事に消えていて驚いた。数枚ずつホチキスでとめられた原稿には、ボールペンで書き添えたメモだけが残っていた。消えるのは知っていたけど、実際に目の当たりにして、のっぺらぼうを見たとき(絵でしか見たことないけど)みたいにぎょっとした。

 

2001年8月12日
世界陸上のテレビ放送。短距離走のスタート場面で、スタート直前の「ヨーイ」のときに、選手の手元がクローズアップされた。地面につけた選手の手が震えているのまでが映って、見ててどきどきした。

 

2001年8月6日
いまの家に引っ越してきて五度目の夏だ。すぐのそばの商店街では、八月の第一土日に、小さな夏祭りが開催される。今年も、おとといと昨日に行なわれていた。二日目の夜には盆踊りが行なわれる。この盆踊りの時間には仕事をしていることが多く、太鼓のどんがどんがという音、繰り返し流される盆踊りの音楽が仕事場まで小さくない音で鳴り響き、「うるさいなあ」「早く終わらないかなあ」と毎回思う。でも、毎回あまりにもきちんと夜の九時になると同時にぴたりと音が止むので、急に音が止むと「なにもそんなに終わる時間に神経質にならなくても」と少しさびしくなり、すっかり覚えてしまった大東京音頭をひとり口ずさんだりすることになる。昨日の夜、仕事しながら「今日も九時にぴたりと終わるんだろうなあ」と思ってたら、いつまでたっても盆踊りの音は聞こえてこなかった。どういうわけか行なわれなかったようだ。

 

2001年8月2日
7月末に経理関係の書類を整理しながら、「いよいよ8月だなあ」とつぶやいたあと私は気がついた。最近月末になると決まって「いよいよ○月だ」と言っている(または思っている)ということにだ。癖になってしまったようだ。「いよいよ」というほどのことが控えていなくても言っている。「いよいよ」には、「いよいよ」に合った気持ちの高まり、緊張がなければならない。それほど、いやまったく「いよいよ」じゃないのにやたら「いよいよ」を使っていては、本当に「いよいよ」の気分になったここぞというときに使う言葉がなくなってしまう。当分「いよいよ」を使わないことに決めた。

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