MISOPPA日記  

 

2002年4月28日
今朝、目が覚めたとき、どういうわけか『ぞうきん』という題の詩を思い出した。

ぞうきん

雨の日に帰ってくると
玄関でぞうきんが待っていてくれる
ぞうきんでございます
という したしげな顔で
自分でなりたくてなったのでもないのに

ついこの間までは
シャツでございます という顔で
私に着られていた
まるで私の
ひふででもあるかのように やさしく
自分でそうなりたかったのでもないのに

たぶん もともとは
アメリカか どこかで
風と太陽にほほえんでいたワタの花が

そのうちに
灰でございます という顔で灰になり
無いのでございます という顔で
無くなっているのかしら
私たちとのこんな思い出もいっしょに
自分ではなんにも知らないでいるうちに

ぞうきんよ!

(『まど・みちお詩集』ハルキ文庫)

 

 

2002年4月21日
今日は雨音に耳を傾けながら、仕事にまつわる雑事をした。今日の雨は、雨脚の強さに変化があり、音楽のようでたのしかった。しとしと、ざーざー、ぽつりぽつり。とくに、ざーざーが昔の日本映画の効果音に使われているざーざーの感じで、なんとなく自分が、家の中で縫い物でもしているような気分になった。

 

2002年4月15日
大好きな映画監督、ビリー・ワイルダーが亡くなった。敬意を表し、昨日は彼の作品をビデオ屋で借りてきて、観た。「情婦」と「恋人よ帰れ! わが胸に」のふたつ。「アパートの鍵貸します」と「あなただけ今晩は」は何度も観るから、ビデオを買ってあるのだけど、今回久しぶりに観た「情婦」も、やはり買おうかな、という気になった。ビデオ屋に行ったのは半年ぶり。きっかけがあってビデオ屋に足を運ぶと、しばらくはビデオ屋通いが続く。私の住まいの近くでは、新宿のTUTAYAが充実した品揃えだ。店内を歩きながら、ああ、TUTAYAに住みたい、と子供みたいに思った。

 

2002年4月8日
晴天の今日、近所の商店街を歩いていたら、前方から、三十代と思しき女性が、黒いこうもり傘をさしながら自転車を漕いでくるのが見えた。
女性は眉間にしわを寄せて漕いでくる。UVケアのためとは言え、傘を持ちながら自転車に乗るのは、難儀なのだろう。わたしも子供のころ、雨の日に傘さしながら自転車に乗って、その難儀さにほとほといやんなっちゃったことがある。ひろげた傘を自転車に取り付けることができたらどんなに便利だろう、と思ったものだった。しかし、誰もが一度や二度はそう思ったはずなのに、それでも傘を取り付ける仕様の自転車もそれ用の器具もないということは、なにかしらの不都合が生じるからで、傘をさすなら最初から自転車に乗らないほうが安全でいい。そういうことなのだろう、とわたしは納得していた。
しかし、こうもり傘の女性とすれ違ったら、彼女はひろげたこうもり傘を手に持っているのではなく、ひろげた傘を、なんと、ハンドル中央あたりにしっかり取り付けていたではないか。それも、紐やテープで強引にくくりつけているのではなく、ハンズかどこかで売っていそうな、まさにその目的のための器具によって取り付けられていたのだ。
だからといって、自分もその器具がほしいというわけではないけど、そういうのがあるってことになんとなくうれしくなった。
でも、ならばどうして彼女は眉間にしわを寄せていたのだろう。てっきり、傘を持っているのがたいへんだからなのかと思ったけれどーーー。あっ、わかった。こんな便利なものを使っているという優越感、うれしさでいっぱいである。しかし、にたにたして乗っているのも恥ずかしく、結局は、怒った顔で商店街をぶっちぎってしまおう、と思ったんだ、きっと。人は案外、にやけたい時、怒った顔をしたりするからね。

 

2002年4月2日
陽気がいいので、銀行に行きがてら、市谷自衛隊周辺の桜の花をめでようと思って出かけたのだが、あらかた散っていた。うつむいてとぼとぼと帰ってくると、頭の上に綿飴のうすピンク色をなんとなく感じた。見上げたら、それはそれは見事なぼたん桜の花。そういえばこの桜はそめい吉野が散ったあと、桜の季節のとりを飾るかのようにやおら悠々と咲き始めるのだ。思わず「オオ、イエイ」とつぶやきながらカメラのシャッタを切っていると、いつのまに年配の男性もこの桜の写真をとっている。敵は見るからに立派なカメラを使用。彼、わたしのデジカメを一瞥し「ふっ」と鼻で笑った(たしかに笑った)。負けてたまるかと思った私は、体を動かし、さまざまなアングルから撮っていると、「ソ、ソリイ」という男性の細い声がした。とっさにそちらを向くと、さっき私を鼻で笑った彼が、歩いてきた外人さん(白人の男性)にぺこぺこして道を譲っていたのだった。外人さんが過ぎて行ってから彼は一瞬ばつの悪そうな顔を見
せた。

 

2002年3月19日
昨日おとといと南房総に行ってきた。宿泊した洲の崎のホテルでは、トンビの餌付けをしているという。朝、定刻になると小さくはないトンビたちがホテルのテラス前の空中に何十羽も集合した。えさを空中に投げると、旋回していたトンビが絶妙のタイミングで飛行してきてキャッチする。さすが、タカ目タカ科の鳥。わたしは、餌投げはやらずに安全な窓ガラスごしに見物していたが、それでも緊張感に包まれ、鳴き声の「ぴいひょろろ」も背面の鳶色も、確認しようと思ってたのに忘れてしまい、トンビがすっかり帰ってしまってから、そのことを思いだした。

 

2002年3月12日
 昨日、ある会議に出るために神保町に行った。少し時間があったので本屋街をぶらぶら。で、待望のウクレレを買った。いままでは物色するだけで終わってたのに、昨日はいい陽気だったせいか、ぱっと決めてぱっと買った。
ウクレレの音を自分で弾いて自分に聴かせたい。
ウクレレ入門本の中の先生は、どの写真もウクレレ弾きながらこれでもかと笑ってた。ウクレレの中にはギターと同じ本数の弦のある小さめの「ギタレレ」という楽器があるのをはじめて知った。

 

2002年3月8日
今日は風が少し冷たいけど、昨日の昼間なんかはぽかぽかと気持ちよかった。陽気がいいと、毎日歩いている商店街の景色さえちょっと新鮮に見えたりする。いまや日本国中の商店街にはささっているかもしれない、造花のかざり(たぶん桜の花を模したのだろう)。いままでそれに見とれたことなんか一度もなかったし、どちらかというと好きなものではなかったのに、昨日は、どういうわけか風で揺れるそれに「きれいだなあ」と見とれてしまった。
そのかざりにカメラを向けてたら、「きれいだろ、新品だから」と背後から声。商店街の八百屋のおじさんだった。
このかざりは、いくらくらいで、だいたいどのくらいの期間使ってから交換するのか、そしてどこで売ってるのか、一瞬疑問になったけど、調べるつもりはない。

 

2002年3月2日
こないだ、仕事で新潟市に行ってきた。
せっかくだから冬の日本海をひと目見てから帰ろうと思った。
雨がぱらいつている。えっさえっさ歩く気力はない。タクシーで海岸につけるのも味気ないし、なによりお金がかかる。時間はまあまあある。それで思いついたのが、路線バスである。新潟駅のバス路線図を調べたら、ちょうど海岸沿いを回ってふたたび新潟駅に戻ってくるという、私の条件にもってこいのバスがある。駅前にいるバス整理のおじさんに聞いたら、そのバスはたしかに海岸のほうを回ってくるという。
ところがそのバスは期待はずれだった。いまかいまかと窓の外を見つめていたのだが、海岸のそばをとおりながらも、ほんの少しも日本海が見えないまま、とうとう新潟駅に戻ってしまったのだった。そう、路線バスを利用する人たちは、わざわざ日本海など見たくないのだ。
そうなるとどうしても日本海を見て帰りたくなってしまった私は、すばらしい展望、全方位ばっちり見渡せるという、日本海タワーにバスで行った。雨があがってきたので、期待できると思った。日本海タワーという名前がとても見えそう。コーヒーを飲みながらゆったりと座っていれば、展望台みずからがぐるり回転(一周25分)とまわって、日本海はもちろんのこと、全方角の景色を存分に見せてくれるのだという。展望台の鏡である。
ところが、雨は止んだものの、天候の具合で視界がとても悪く、見えた景色というと近距離のビル群ばかりだった。日本海にソデにされて肩を落とした私は、さすがに日本海タワーからの帰りはタクシーに乗ってしまった。
どうしたって日本海は見えないことになっている日だった。

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