MISOPPA日記   2003年1月・2月

 

2003年2月19日
 仕事で昨日京都に行って、今日早くに帰ってきた。写真にとれなかったのが残念だが、こちらで見るよりも京都の月には存在感があった。京都の地形が関係して、錯視が起こり、月が大きく見えるのだとか。行きたいと思っていた喫茶店も本屋さんも行けないでしまった。
 京都の新幹線ロビーに修学旅行生たちがジュータンのように座っていた。男の先生が、新幹線に乗る際のバッグ(大きいやつ)の正しい持ち方を、嬉々としてモデルみたいに微笑みながらやってみせていた。乗り込むのに時間がかからないようにだろう。

 

2003年2月16日
 今日の雨は、思い出したように窓に吹き付ける雨。首振り扇風機の風のようにスケールの小さい感じの風が、小ぶりの雨をぱらぱらっと窓に打ち付ける。今日やるべきことに早く取り掛からなければ、と思うのだが、ついついテレビをながめてしまう。さて、やろうかな、とやっと腰を上げると、タイミングよくぱらぱらっと窓に雨が当たり、やんわりと肩を押された心地になり、「あーれー」となって腰をおろしてしまう。怠惰というだけ。

 

2003年2月15日
 昨夜遅く、静岡出張から帰る新幹線で、若い娘さん(17、8歳かな)ととなりの席になった。彼女は足元や膝の上に置いた大きな荷物をときどきごそごそやりながら、終始ごほごほと咳をしていた。青空球児好児が漫才で「こちらのお客さんにゲロゲーロあちらのお客さんにゲロゲーロ」とやるときみたいに、四方八方を向いて咳をする。世界中に病気をうつしてやる、という意気込みでもあるのだろうかーー。三島駅につくと彼女は窓側の席を立ち、いくつもの荷物のうちのひとつで私の顔にパンチを入れて、通路に出て、新幹線から降りた。口を真一文字に結んでホームを行く彼女が見えた。彼女にいいことがありますように。

 

2003年2月8日
寝る前に探し物をしていたらぬりえが出てきて、それを目にしたからだろう。寝てから、ばかばかしい夢を見た。私はぬりえの表紙にあった姫(写真参照)になっていて、ひとりで巷を歩いている。急に雨が、天からではなく地から降ってきて「私は紙だから濡れたら溶けてしまう身だったんだ」と思い、一生懸命傘を地面に向けてさすのだがうまくいかない。もう少し柄の部分が長ければさしやすいのに、と思っていると、濡れてしまった足が溶けはじめているのに気付く。私は傘を放り、「溶けて流れりゃみな同じー」と言いながら雨の中にダイブした。帯のところがやや溶けにくかったものの、わりと早めに全部溶けた。考えてみたらこれが私の初夢のような気がする。なんだかなあ。

 

2003年2月4日
1971年にNHKで放送した連続ドラマ「天下御免」が、このたびの50周年企画で2月11日に放送されるらしい。フイルムが残ってないと聞いていたけれど、あったのかしら。ちらっと一場面を紹介するって感じなのだろうか。たとえ一場面だけでも見たい。大好きなドラマだった。

 

2003年1月29日
 今日、人気のない地下鉄の乗り換え通路を歩いて行くと、両手に紙袋を持った70代くらいの痩せ型の男性が立ち止まり、なぜかデン助人形のように首を振っていた。もっと歩いて行くと、彼はデン助のようにではなく、犬が鼻先の虻を嫌がってあちこちに首を振るときみたいに野生な感じで顔を動かしているのがわかった。そして、なぜそんな奇怪な動きををしているのかわかった。着けていたマスクがまるで目隠しのように顔の上のほうにあがってしまい、それを必死に戻そうとしているのだった。
 どうしても紙袋は置きたくないらしい。ならば私の手で、ちょっとのことだから、すれ違いざまに彼のマスクを元に戻してやろうかと思ったが、それはちょっと大胆すぎる気がした。それなら「荷物持ってましょうか」と声をかけてみればいいかな、とも思ったが、彼は私の足音に気がつくと動きを止め、そっぽを向いてしまったのでやめた。おせっかいを嫌がるタイプと見た。すれ違ったあと振り向くと、彼はさっきよりはげしい獅子舞のような動きで頭を振ってた。どう考えても荷物を置いてマスクを直したほうがいいのに、と思った。人生の大先輩に悪いけれど。

 

2003年1月25日
 以前フジテレビのあった場所に、いよいよ高層(41階)の公団住宅ができあがり、モデルルームが公開された(このページの2001.3.7と2001.11.14にも関連写真を載せたのでよかったら参照ください)。近所の住民としては、高台の上に立った高層住宅からの眺望をぜひ確認しておきたい。で、天気のいい今日、散歩がてら行ってみた。
 エレベーターを降りた途端、わあーっと視界が開けるんだろうねえ。そしたら、なんでかわかんないけど、おととい行ったスピッツのコンサートのときの興奮が蘇ってきそうな気がするぞ。そんなことを考えながらひとりてくてくと現地に向かった。
 しかし、なんと、モデルルームは2階と3階にあり、いちばんの特徴であり売りであるはずの眺望は展示されている写真で確認する形になっていた。どの部屋だと〇〇方面が見えて‥‥と係員の方がこまかに見学者に説明していたが、私としては、生の眺望を欲していたので、がっかりしてさっさと帰ってきてしまった。マスクの下で「そこんとこヨロシク」とつぶやきながら。

 

2003年1月21日
 マネキンは人形だから、手、頭、下半身などなど、どのパーツがない状態でもあまり違和感はない。だってマネキンだから。
 でも、写真の、向かって左側のマネキンに頭がないのには、なにかすごくホラーな感じがした。それは、彼が手すりに両手をかけたポーズになっているからだと思われる。そのポーズがどこか血の通ったふうに見せている。「あーあ」とか「つまんねえ」とか思っていそうにも思えてくる。一方、右側のマネキンのほうはただの見慣れたマネキンというふうに見え、頭がないことなどぜんぜん気にならない。
 おもしろいと思ってこの写真を撮っていたら、マネキンと同じようなスーツを着た呼び込みのおにいちゃん(当たり前だが頭がちゃんとついてる)が、浄瑠璃の人形の顔だけぐるりと振り向くときのように私のほうに振り向いて、「マネキンがそんなにめずらしいのかよ」「へんな女」と言いたげな顔をし、またぐるりと顔を元にもどした。

 

2003年1月17日
 JR飯田橋駅のホームは、電車との間がすごく広く空く部分がある。この駅では、駅員さんの定番アナウンス「電車とホームの間がひろーく空いておりますのでご注意ください」が、とくに切実に響き渡る。十代の終わりから幾度となく利用しているのだから、いい加減慣れてもいいはずなのに、慣れない。毎度、胸のうちで「せーの」と言いながら電車に乗る。乗るたびに「この空き方は範囲を超えているのじゃないか」とも思う。また、またぐときに、夢のなかで足を踏み外すときのように、ぞっとするような感覚になる。
 今日、歯科受診のために飯田橋駅で降りた。帰り、いつものように「せーの」でまたいで電車に乗ったら、私のあとに営業マンふうの男性が乗ってきた。彼は、目をまんまるにして空きスペースを見ながら、電車の手すり棒みたいのにつかまってから、いかにもこわごわと空きをまたいで乗り込んできた。ドアがしまると彼は、なぜか自分の靴の裏を点検するかのように見ていた。

 

2003年1月13日
 今日は成人式。テレビニュースで晴れ着姿の新成人の人たちが紹介されるとかならず自分の成人式の日のことを思い出す。あの日私は振袖姿を母方の祖母に見せに行ったのだった。祖母はまぶしそうに私の姿を見て一言。「あらー、都はるみみたいだねえ」 誉めてくれたのはありがたいけれど私は喜べなかった。もはやふた昔前のこととなってしまったが、毎年、成人式のニュースを見るとかならず、そのときの複雑な心境とともに、いまは亡き祖母のこととあのころの自分の若さ加減をなつかしく思い出す。それはもう絶対に年中行事のように思い出す。
 思い出すと言えば、きっかけがなければ一生思い出さなかっただろうことをこのあいだ思い出した。知り合いのAさんがインターネットのあるサイトで庄司薫さんのことを紹介しており、その中にあった『喪失』という小説のタイトルを目にしたのがきっかけである。12月、それを目にして、高二のときにうしろの席だった男子B君と喧嘩したことを思い出した。B君とは、背中を突付かれ、「消しゴム貸して」と言われて貸すときに、べらべらとよく話したものだった。あれは四時間目の前の休み時間だった。いつものように消しゴムを貸したついでに話をはじめた。どちらが言い出したか忘れたが庄司薫の小説『喪失』の話になった。で、喧嘩になってしまった。B君とは一度も喧嘩などしたことがなかったのに、なぜか喧嘩になった。それからしばらくの間は、消しゴムの貸し借りをしなくなった。
 それをなつかしく思い出したまではよかったが、あのとき何故喧嘩になったのか、そこのところがどうしても思い出せなくてすっきりしない。ちょっとしたことで思い出せそうな気がするから思い出してしまいたいのだが思い出せない。『喪失』にかんする意見の食い違いでもあったのだったかしら。わからない。ところでどんな小説だったかしら。わからない。読んだのかどうかすら覚えていなかった。
 それで私は『喪失』を読んでみればなにかしら思い出すかもしれないと考えた。しかし、この本は容易には手に入らないのだった。ならばAさんにどんな小説だったかくわしくおしえてもらおう、と思いついたのだけれど、気がつけば師走押し迫る時期になっており、忙しいときにそんなばかなお願いはできなかった。
 年末、あわただしく過ごしながらも「あのときA君と何故喧嘩になったのだっけ」という疑問が頭の片隅にずっとあった。年が明けて仕事が一段落したら、絶対にその本がある国会図書館にでも行って『喪失』を読めば思い出せるかもしれない。そう思いながら、だめもとでヤフーオークションで検索してみたら、なんとタイミングよく『喪失』を出品している方がいらっしゃった! 明けて正月、めでたく競り落とすことができ、先週、待望の『喪失』を入手。
 読み終えて、やっと思い出すことができた。内容とは関係ないことだった。B君は、あのとき『喪失』にかんする批評みたいなことを熱心に語りだしたのだった。私はB君に消しゴムを渡した途端、午後の体育で使う体育着のジャージを家に忘れてきたことに気付き、「誰かに借りなければ」という思いでいっぱいになり、彼の話はあまり耳に入らず、心ここにあらずといった感じで相槌を打っていたのだ。するとB君が「話をちゃんと聞いていない」と怒り出し、私はズバリほんとうを指摘されてしまったために素直になれず「聞いてるよ」と強く言い返し、それから喧嘩になったのだった。思い出すことができてすっきり。
 それにしても、喧嘩のきっかけは小説の内容とはぜんぜん関係がなかったのに、どうして『喪失』を読み終えた途端思い出すことができたのだろう。記憶ってほんとうに不思議。

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