2003年11月18日
11月16日は日帰りの出張だった。東京駅6時ちょうど発、のぞみ1号に乗って京都まで行き、近鉄特急に乗り換えて1時間余、奈良のとある万葉の里に到着。
用を済ませて駅に戻ると、帰りの特急まで30分ほど時間がある。喫茶店で時間をつぶそうと思ったが、駅員さんに訊ねると駅周辺には一軒もないという。ちょっと疲れたのであたりの散策をする力は湧いてこない。かといって駅のホームで過ごすのもつまらない。駅前通りを少し歩いて行くとパチンコ屋があり、外から覗いてみると男性客だけが寡黙にパチンコに取り組んでいるのが見える。少し迷ってから、はじめてひとりでパチンコ屋さんに入った。パチンコは旅行先でみんなでひやかしに入った経験しかなかった。
千円だけ玉に換えて開始。あっさり終わってしまわないのを願いながら打ちはじめた。
ふと気がつくと、私が打っている台がにぎやかに点滅しはじめ、玉がどっとではじめた。と、まもなく、店の人が私の台の上になにか旗のようなものを立てた。むっ、これはフィーバーというやつではないか? どきどきしてきた。
玉を貯めるバットに玉が一杯になったころ、パチンコをはじめて15分経過したのを知り、そろそろ出なければなるまい、と思い、立ち上がった。台はまだにぎやかに点滅しているからフィーバー中なのだろうが、熱中してうっかり時間を忘れ、電車に遅れたらたいへんなので、未練があるもののバットを持って立ち上がった。すると、店のおじさんが駆け寄ってきて「まだやれるよ、まだやれるよ」と言いながら台を指差した。私はマドロスさんが陸から船に戻るときみたいな気分になって「ごめん、もう行かなくちゃ。素敵なパチンコ屋だったよ」という思いをこめて頭を横に振り、玉のカウントコーナーへと向かった。一度だけ振り返った。
パチンコ屋の裏手の交換所で、交換。ものすごい儲けかと思ったら、三千円の儲けだった。交換所の窓口では係りの人の顔がよく見えなかった。もしかして、山部赤人だったりして、と思いドキドキした。ほんとうに山部赤人だったらどう挨拶していいかわからないので、顔を覗きこむのはやめた。 |