MISOPPA日記  

 

2004年3月31日
ここ数日、朝、仕事をはじめる前に、台湾映画「悲城情市」のテーマ音楽をかけている。聴いていると、田んぼのあぜ道に座り、自販機で売ってもよいのではと思うほどおいしい空気を胸いっぱいに吸い、その空気を全部吐き出してしまいきょとんとしている自分を、どこかから双眼鏡で見ているみたいなそんな気分になる。へんなたとえ。
「悲城情市」のCDは、タワーレコードでは廃盤といわれたが、インターネットアマゾンでは買えた。

 

2004年3月17日
 今日は一日じゅう風が強かった。風が窓にわーわー当たると、誰かが訪ねてきたみたいな気がして、何度か窓のほうを見ちゃった。

 

2004年3月7日
 昨日の夜、ひさしぶりにプールへ。眼にプールの水が入るのがこわかったので泳がずに水中歩行のみ。帰りに、道路沿いの満開の梅の木のそばを通った。風などの関係もあるのだろうけど、梅の花の香りというものは、木から数メートル離れた場所にたまっていることが多い。昨日の梅も、木を過ぎてから5メートルくらいのところに香りがたまっていていい匂いがした。そしてその地点の塀の上には、タレントの内山君似の猫が恍惚という表情で座っていた。

 

2004年2月29日
 今日、メガネを作りに行ったメガネ屋さんで、ぬいぐるみをくれた。クマかリスか、そういう動物の。そのぬいぐるみは、メガネ入れになるバッグを背負い、メガネ拭きになる前掛けをしている。使えるぬいぐるみです、とすまし顔で訴えている。
 わたしは小さいころからぬいぐるみにはあまり関心がなく、自分のぬいぐるみというものを持ったことがないが、今日もらったぬいぐるみはちょっと可愛い気がしてきたので、自分のとして机の上にでも置いておこうと思う。我ながら意外な心境の変化。
 ぬいぐるみ付属のメガネ入れとメガネ拭きはたぶん使わない。

 

2004年2月25日
  本日の眼科受診で、眼帯はしなくてよいことになった。あとは、目薬をしながら様 子を見ましょうとのこと。いちおう、回復と考えていいのだ。自分に「よかったね」 と心の中でいいながら病院を出ようとすると、出口で患者さんらしいパジャマの上に カーディガンをきた若い女性に呼び止められ、手紙をポストに入れてほしいと頼まれ た。ポストまでは通りまで少し歩かなければならない。ささいでも人の役に立つとい うことが、今日はなんだか特別にうれしくて「よしきた! お姉さんに任せといて」 という気持ちで手紙を受け取り、ポストに入れた。見ず知らずのわたしを信用して、 大事な手紙を託す彼女はステキだと思った。 突発的にいい人になった私は、なんな ら、少しでも郵便が早く届くように先にある郵便局でこの手紙を出してやろうかな、 という親切心が生まれたが、それはやりすぎな気がしてやめた。

 

2004年2月22日
  このまま暖かくなってはいかず、また寒い日がくるのだろう。それを思うと余計に 今日みたいな陽気がありがたく感じられる。
  おとといあたりから、防衛庁が近いからかうちの周辺では警察官が頻繁に見回りを するようになった。テロ対策ということらしい。
  今日の午前中、スーパーで買い物をしたあと覚束ない足取り(いまだ眼帯になれて いない)で家に向かっていると、前方から警察官がひとり歩いてきた。車がほとんど 通らないその道に通行人は警察官と私だけ。覚束ない足取りを急に正すことはできな いからふらふらと歩いてゆくと、なぜかその警察官、私と反対側の路肩に渡り、立ち 止まり、過ぎ行く私をじっと観察したのだった。不審人物だと思ったのかしら。眼帯 の中に危険物でも仕込んでいるかもと思ったのかしら。いや、きっとふらつく足取り を心配して見守ってくれたのだろう。春うらら

 

2004年2月18日
今日は朝から眼痛があり、なんとか我慢して仕事しようと思ったのだけれど我慢できず、先日からかかっている大学病院の眼科にかけこんで診てもらった。極端に涙の出が悪くなっているため目蓋との摩擦で眼球に傷がついているのではないだろうか、と眼科の先生。涙枯れ果てた覚えなどないのだけれど…。仕事がますます遅れ、あせる。

 

2004年2月14日
左目に眼帯装着の生活をして5日も経つのになかなかなれず、屋内では家具にぶつかり、外の階段ではふらついてしまう。なんという順応能力の低さ。

 

2004年2月10日
昨日の夜から今朝まで、左目が痛くて一睡もできないでしまった。眼痛で眠れないなんてはじめて。近くの大学病院にかけこんで朝一番でみてもらい、手当てをしてもらった。両眼球の表面にたくさんの傷がついているそうだ。左目のほうが傷がひどいという。左目は軟こう塗布して眼帯。右眼は眼帯をしてしまうと何もできなくなってしまうから軟こう塗布のみ。
いつどうやって眼球に傷がついたのかまったくわからない。
ほんに今年は思いもよらないことがいろいろおこる。悪いこともよいことも。

 

2004年2月4日
 今日、インターネットを久しぶりにダイヤルアップでつないだら、あれ独特の接続音(ピーー、ビーー、ビヨン、ビョンというの)が、仕事場にのどかに響き渡った。立春の日にマッチしていた。

 

2004年1月20日


 以前、何かのときに描いたイラスト。探し物をしていたら出てきた。

2004年1月21日


 これも昨日探し物をしていたら出てきたイラスト。

 

2004年1月16日
これが私の財布。

 

2004年1月15日
 私の皮製の財布は、なんとかかんとかビッグクラブサンドみたいに分厚い。キャッシュカード類や飲食店の名刺、お買い物スタンプカードなどなど一杯入れているからだ。スマートな財布にしようと、たまに中身を整理するのだが、一度伸びてしまった皮はもはや縮まらないからゆるゆるになっておりカード類がスポンと飛び出てしまう。よって、皮が緊張を保つ量は入れておかないとカード類を紛失してしまう恐れがある。皮の緊張を保つための量というのは少しずつ増えてゆくので、入れるカード類も自然と少しずつ増えてゆく。一体、皮はどこまで伸び、財布はどこまで膨らむのだろうか。「皮」「伸びる」は二つともにくらしい言葉。「ゆるゆる」は好感持てる言葉。……痩せたい。そしてすらりとなりたい。

 

2004年1月11日
 ついこのあいだまで、携帯電話についているカメラでなにかを撮っている人がいると内心で<マグマ大使でも呼んでいるみたい。ちょっと滑稽>なんてつぶやきながら、少し冷ややかな目で見ていた。そんな私が、カメラ付携帯を持った途端、あちこちで撮りまくっている。風景や建物を撮るときは、なぜか足をふんばり、一瞬立ち上がった犬の格好みたいになって撮っている。

 
2004年1月9日
 今日は風が冷たかった。北風小僧の貫太郎があらわれるんじゃないかと思った。

 

2004年1月7日
 一度目が「はじめまして」で二度目が「二度目まして」という挨拶。ひと月くらい前かな、ワイドショーの再現ビデオの中で、男性が女っぽい口調で言ってた。「二度目まして」のあとに「うふ」とか「えへ」などと付ける雰囲気で。なるほど「二度目まして」か、と思い、ぜひ誰かと二度目に会うときに使おうと思っていたのだが一向にそのチャンスがやってこない。それでわかったのだけれど、このごろの私は「はじめまして」の人とはそれっきりで終わり(インタビューとか講演の担当の方とか)、あとは何十回何百回も会っている人としか会わないという傾向にあることがわかった。
 今日、ラーメンズのライブに行ったら、前にもライブにきていた人がきていた。まさに二度目だ、挨拶をする仲なら「二度目まして」と言えるのになあ、と残念に思った。

 

2004年1月5日
 小学校の4年か5年のとき、筑波山に遠足に行った際、お土産にガマの置物(貯金箱も兼ねている)を買った。そのとき名前をガマ子とつけた。ガマガエルだからガマ子なのではなく、歴史上の人物バスコダガマにちなんで命名した。しかし、バスコダガマはガマガエルを連想する名前だから覚えた名前なわけで、ガマガエルとまったくつながりのない名前というわけではないのだけど。そんなことを思いながら、つけた名前だった。
 この正月に実家に帰ったら、ガマ子が目につき、見ているうちに離れがたくなり、結局持ち帰ってきた。写真がそのガマ子。チャームポイントはガラスの目。三十年以上経っているのに、ガマ子のガマっぷりは健在。写真に撮ると実物よりさらにガマらしく見える。買ったとき、温度計のついているペン立てとこのガマ子のどちらにしようとお土産屋さんで散々迷ったのだが、ガマ子にして正解だった気がする。飽きないから。 「プチナース」という看護学生雑誌で連載しているエッセイ「羊たちの困惑」にときどき、ガマ子を登場させている。そういえば、ガマ子を買ったとき、クラスの男子が「ガマなら、そこらにいくらでもいるのに」と不思議そうに私を見て言ったっけ。

 

 

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